2018年6月26日

尾倉橋梁


九州鉄道大蔵線の橋梁跡です。
明治24年開業、明治44年廃業と短命な路線で、遺構はあまり残っていません。

 100年以上経つものですが、特に傷みは見受けられませんね。

 植生で分かり辛いですが、アーチ部は下駄っ歯となっています。

 下駄っ歯は複線にする場合に拡幅が容易なようにと施工されるもののようですが、複線にする計画があったのでしょうか…?
 ここの注目点は、橋梁上にも家が建てられていて埋もれてしまっているロケーションかもしれない。


2018年6月10日

冠着トンネル排煙設備跡


 冠着トンネルの冠着駅側にある排煙設備跡
設備は撤去され、現在は基礎部分を残すのみとなっています。

 当時はこの上に小屋が建っていたそうです。
 板で塞いでいたのでしょうか?
倒れてしまっています。
 駐車禁止と立て看板があるのですが、どうやっても車なぞ来られない場所。
謎です。
 冠着トンネル坑門
コンクリで改修されてしまっています。
 かろうじて、当時の坑門の一部が残っていました。


コッキング温室跡


 江ノ島の植物園内にある温室遺構。
明治15年に貿易商のサムエル・コッキングが整備したものです。
 
 ご覧の通り上屋は失われて、温室の地下部分のみとなっています。


旧チャップマン邸


 新宮市の旧西村伊作邸…の裏にあります。
西村氏が親しくしていたアメリカ人宣教師のチャップマン氏の住宅として建てられたとか。

 公開はされていないので、外から見るだけになります。

長らく個人で管理されていましたが、老朽化が進んで取り壊しとも聞くようになりました。
しかし2015年に新宮市へ譲渡されて、保存される事になりました。

現在(2018年1月時点)は旧西村伊作邸が整備中なので、その後に整備されるのでしょうか。
いつの日か、公開されたら再訪問してみたいです。




志原橋防潮水門


 前回紹介した緑橋から北へ2kmの所、志原川の河口にある防潮水門です。
役割は緑橋と全く同じですが、 建設されたのは数年後の昭和7年となっています。

 橋の上は酷い状態。
老朽化で大型車は通れないようにという措置でしょうけど。
 西側。
確かに、重量物の通過には辛そうな構造。
あくまで水門がメインなんですね。
 親柱も現存
これ、閉める時はどうするのだろう?
人力?
なかなか貫禄のある物件でした。
周辺は工事中のようで、今後どうなるか心配です。