2013年7月31日

賤ヶ嶽隧道

賤ヶ岳の合戦で有名な賤ヶ岳を抜けるトンネルです。
坑門は煉瓦と石で装飾されて豪華。広さも二車線分あって、さすが一桁国道という所でしょうか。

扁額も大きくて立派なものが付いています。
大正13年竣工、鴻嶺という人の書という事が分かります。
ググると鴻嶺は当時滋賀県の知事だった末松偕一郎の雅号でした。

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訪問日 2010.8.13

2013年7月30日

遠登志橋

現地の説明板曰く、明治36年に架設された橋・・・との事。
それなりに補修・改修を受けており、アーチ部のみが当時の姿をとどめている・・・という事は
オリジナルは残っていないという事ですね。

まあ、見れば分かりますけどね・・・。
昭和20~30年代の橋によく見られる鋼材です。

説明板が立っています。
これが当時の姿でしょうか?
元は吊橋ではなかったようですね。

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訪問日 2010.5.2

2013年7月25日

大宮橋

橋好きなら「死ぬまでに見たい橋」のランキング上位に入るであろう橋です。
この橋の見所は、やはり下部の造形でしょう。
柱は単純な角柱ではなく段差をつけたデザイン。柱と柱の間はアーチになっています。
通行する人には全く見えない所に、これほどの力を入れたのは何故でしょうか・・・。
河原から。
アーチ部の梁が三本な橋はなかなかお目にかかれません。
道路からはシンプルなコンクリ橋にしか見えません。
親柱もこの時代にしては質素です。
ご覧の通り、通行の際には下部の造形は全然見えません。
もしかしたら竣工当時は周囲の木々が無く、良く見えたのかもしれませんね。

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訪問日 2010.5.2

2013年7月24日

河口橋

何が何だか分からない写真でスミマセン…
前回紹介した千野々橋の先にある廃橋です。

現道から見下ろす事ができます。
道路の改良か自然災害か分かりませんが、片方の道は崩壊しています。

では橋に接近してみましょう。
現道の三碧橋の脇にある洞窟みたいな旧道から橋に行けます。
到着…。草の中にポツンと親柱が見えます。
上に乗っかっているのは何でしょう?
親柱その1
「河口橋」という名前が判明しました。

親柱その2
読めません…。
ググった所、大正十四年九月架設」と書いてあるそうです。
すると千野々橋と同い年という事ですね。

親柱その3
「かわくちはし」と読めます。

アクセスは容易な場所ですが、崩壊の進んでいる場所なので足下注意です。

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訪問日 2010.5.2